【10.19住まい分科会】戸叶トシオさん(山谷労働者福祉会館活動委員会)
戸叶トシオさん(山谷労働者福祉会館活動委員会)
私たちは、東京東部地域、山谷、隅田川、上野公園などで野宿しながら暮らす人、または野宿の経験をくぐった人たちと一緒に活動している。東京東部地域というのは山谷という日雇い労働の町が真ん中にある。野宿している仲間で半分くらい人は若くから日雇いの仕事をしている人たち。仕事の仕方、暮らし方に独特のものがあって、相互扶助的な雰囲気や反権力的な姿勢があり、すばらしい人たちだ。そういう人たちと一緒に頑張っている。
野宿というと居住を完全に奪われている状態だと思われがちだが、実際には多くの排除の経験と直面しながら、居住を回復していく過程でもある。最近では最も厳しく生活保護から排除されている野宿の仲間たちと、「集団で野宿からアパートへ」という要求を行い、いままで野宿の状態から200名弱の仲間が直接アパートへ入るという成果を出している。
野宿をめぐる生活保護の状況と労働の問題が密接に絡んでいるので、そのことを報告し、その後、生活保護の集団申請について報告したい。
生活保護の現状は、水際作戦と呼ばれる役所の窓口で貧乏人を排除することが行われているが、特に野宿労働者に対しては厳しく、若いとか健康であるといった理由で門前払いされることがままある。それだけではなくて、野宿の仲間に特化した制度として収容施設ができてしまっている。
先ほどもさくらハウスの殺人事件のことがあったが、悪質な第二種宿泊施設の問題がある。この施設は中間施設という位置づけで、野宿からアパートへ入るまでの間に一時的に待機するというもののはずだ。法律的には、入所を強制することはできず、そのような施設での生活を必要とする人が納得して入ることになっている。
しかし、現状では、役所の窓口による実質的な強制収容が蔓延している。「施設へ入所しなければ生活保護をかけない」という旨のことが役所によって言われている。
また、多くの施設において入所者は劣悪な生活を強いられる。生活の支援のためのフォローは全く不十分で、相談者(ケースワーカーのようなもの)をおいているところはほとんど無い。一旦施設に入ると、役所のケースワーカーが来るのは一月に一度くらいのことが多く、ほとんど放置状態にされることが多々ある。
生活保護費は1ヶ月に大体13万円だが、そのうちの10万円が諸経費として施設にピンハネされる。本人は3万円で月々の生活を強いられる。相部屋でプライバシーはほとんどない。朝4時に起きて仲間の食事を準備しなければならないといった規則があるところもある。古株による暴力支配が蔓延しており、そういう状況で2008年のはじめに殺人事件が起こってしまった。このような施設の存在は、生活保護を受ける上で大きな障壁になっている。役所からすると防波堤として使えるということで、最大手の団体だと1年で60億円くらいの金が動いているという報告がある。
一方で労働の現状に目を向けると、野宿の仲間を専門に募集をしている飯場がある。飯場というのは住み込みで土木や建築の仕事につくための宿舎で、衣食住が労働が一体となっているために奴隷労働の温床になりやすい。私たちはこの夏に、飯場の条件についてのアンケートを行った。その結果によると、賃金について多くの手配師がはっきり提示せず、そもそも払う気がなく野宿労働者を集めるケースが非常に多くある。宿泊費や食費が引かれるために、1日仕事をしたら3日休ませるということを繰り返す。そうすると、いくら働いても手元に残るお金がまったくないということが多くある。
ただ、仲間も黙っているわけではなく5.6年前に朝日建設の飯場で野宿者3人が殺害されたが、この飯場は野宿の仲間を専門に集めていた。ここで3人に仲間が殺された理由が、無賃労働を強いられていたことに抗議し、賃金を支払えと声を上げたことが原因だという。
現在進行中の労働争議で、暴力団が直接人を集めに来ていて、そこで労働争議化を行ったことにより、支援者に対して暴力を用いた襲撃が加えられ、4針くらいを縫うケガを負わされた。他の支援者に対しても、「このままで済むと思うな」といった脅迫電話が入れられた。このような極端な暴力が蔓延する状況が日常的にある中で、公共圏に小屋を構えるということは、奴隷労働を拒否し、自分たちのペースでの生活を守っていくという意味があるということを確認したい。
これまでに述べたように、生活保護も取りにくい状況で、公共地からも野宿の仲間を追い出す際に、行政がよく使ってくる手段が「対策とセットでの排除」だ。山谷地域でも、2年間限定のアパートを用意し、そこに入るように迫り、入らねば公共地から出て行けと追い出しが図られた。あまりにひどいと多くの仲間が怒り、私たちも怒った。なんとかできないかと考え、一つは、いろんな場所で居住権を実現していこうと、公共地に小屋を構える必要のある仲間は小屋を立てること。もう一つは、生活保護のまともな運用を求めて、野宿から直接アパートへ入ることを要求している。役所の前に一晩占拠して、野宿の当事者と支援者を含めて100人くらいが集まり寝るという行動に引き続き、はっきりとアパートへの入居を要求して生活保護の申請を集団で行った。こちらも準備してしっかりと行い、月に一度そういった行動をしているが、いまのところ仲間たちの力でなんとか押し切っているという状況だ。
生活保護を単に取れればいいということではなく、どのように取っていくかが問題で、私たちは集団性が一つの鍵だと考えている。みんなで動いていくことで、一人では声を上げられないところを、共通の体験を確認し、確信を深め、声をあげ、胸を張って、生活保護を取っていく、あるいは公共圏に小屋を作っていく、という活動を行ってきた。これからも続けていく。
私たちは、東京東部地域、山谷、隅田川、上野公園などで野宿しながら暮らす人、または野宿の経験をくぐった人たちと一緒に活動している。東京東部地域というのは山谷という日雇い労働の町が真ん中にある。野宿している仲間で半分くらい人は若くから日雇いの仕事をしている人たち。仕事の仕方、暮らし方に独特のものがあって、相互扶助的な雰囲気や反権力的な姿勢があり、すばらしい人たちだ。そういう人たちと一緒に頑張っている。
野宿というと居住を完全に奪われている状態だと思われがちだが、実際には多くの排除の経験と直面しながら、居住を回復していく過程でもある。最近では最も厳しく生活保護から排除されている野宿の仲間たちと、「集団で野宿からアパートへ」という要求を行い、いままで野宿の状態から200名弱の仲間が直接アパートへ入るという成果を出している。
野宿をめぐる生活保護の状況と労働の問題が密接に絡んでいるので、そのことを報告し、その後、生活保護の集団申請について報告したい。
生活保護の現状は、水際作戦と呼ばれる役所の窓口で貧乏人を排除することが行われているが、特に野宿労働者に対しては厳しく、若いとか健康であるといった理由で門前払いされることがままある。それだけではなくて、野宿の仲間に特化した制度として収容施設ができてしまっている。
先ほどもさくらハウスの殺人事件のことがあったが、悪質な第二種宿泊施設の問題がある。この施設は中間施設という位置づけで、野宿からアパートへ入るまでの間に一時的に待機するというもののはずだ。法律的には、入所を強制することはできず、そのような施設での生活を必要とする人が納得して入ることになっている。
しかし、現状では、役所の窓口による実質的な強制収容が蔓延している。「施設へ入所しなければ生活保護をかけない」という旨のことが役所によって言われている。
また、多くの施設において入所者は劣悪な生活を強いられる。生活の支援のためのフォローは全く不十分で、相談者(ケースワーカーのようなもの)をおいているところはほとんど無い。一旦施設に入ると、役所のケースワーカーが来るのは一月に一度くらいのことが多く、ほとんど放置状態にされることが多々ある。
生活保護費は1ヶ月に大体13万円だが、そのうちの10万円が諸経費として施設にピンハネされる。本人は3万円で月々の生活を強いられる。相部屋でプライバシーはほとんどない。朝4時に起きて仲間の食事を準備しなければならないといった規則があるところもある。古株による暴力支配が蔓延しており、そういう状況で2008年のはじめに殺人事件が起こってしまった。このような施設の存在は、生活保護を受ける上で大きな障壁になっている。役所からすると防波堤として使えるということで、最大手の団体だと1年で60億円くらいの金が動いているという報告がある。
一方で労働の現状に目を向けると、野宿の仲間を専門に募集をしている飯場がある。飯場というのは住み込みで土木や建築の仕事につくための宿舎で、衣食住が労働が一体となっているために奴隷労働の温床になりやすい。私たちはこの夏に、飯場の条件についてのアンケートを行った。その結果によると、賃金について多くの手配師がはっきり提示せず、そもそも払う気がなく野宿労働者を集めるケースが非常に多くある。宿泊費や食費が引かれるために、1日仕事をしたら3日休ませるということを繰り返す。そうすると、いくら働いても手元に残るお金がまったくないということが多くある。
ただ、仲間も黙っているわけではなく5.6年前に朝日建設の飯場で野宿者3人が殺害されたが、この飯場は野宿の仲間を専門に集めていた。ここで3人に仲間が殺された理由が、無賃労働を強いられていたことに抗議し、賃金を支払えと声を上げたことが原因だという。
現在進行中の労働争議で、暴力団が直接人を集めに来ていて、そこで労働争議化を行ったことにより、支援者に対して暴力を用いた襲撃が加えられ、4針くらいを縫うケガを負わされた。他の支援者に対しても、「このままで済むと思うな」といった脅迫電話が入れられた。このような極端な暴力が蔓延する状況が日常的にある中で、公共圏に小屋を構えるということは、奴隷労働を拒否し、自分たちのペースでの生活を守っていくという意味があるということを確認したい。
これまでに述べたように、生活保護も取りにくい状況で、公共地からも野宿の仲間を追い出す際に、行政がよく使ってくる手段が「対策とセットでの排除」だ。山谷地域でも、2年間限定のアパートを用意し、そこに入るように迫り、入らねば公共地から出て行けと追い出しが図られた。あまりにひどいと多くの仲間が怒り、私たちも怒った。なんとかできないかと考え、一つは、いろんな場所で居住権を実現していこうと、公共地に小屋を構える必要のある仲間は小屋を立てること。もう一つは、生活保護のまともな運用を求めて、野宿から直接アパートへ入ることを要求している。役所の前に一晩占拠して、野宿の当事者と支援者を含めて100人くらいが集まり寝るという行動に引き続き、はっきりとアパートへの入居を要求して生活保護の申請を集団で行った。こちらも準備してしっかりと行い、月に一度そういった行動をしているが、いまのところ仲間たちの力でなんとか押し切っているという状況だ。
生活保護を単に取れればいいということではなく、どのように取っていくかが問題で、私たちは集団性が一つの鍵だと考えている。みんなで動いていくことで、一人では声を上げられないところを、共通の体験を確認し、確信を深め、声をあげ、胸を張って、生活保護を取っていく、あるいは公共圏に小屋を作っていく、という活動を行ってきた。これからも続けていく。
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