【10.19住まい分科会】川西浩之さん(車椅子利用者、個人)
川西浩之さん(車椅子利用者、個人)
世田谷で車椅子を利用し、生活保護を受けてホームヘルバーを入れた一人暮らしをしている。今年で9年目に入る。今日は、私の自立生活を始めたきっかけを話しながら、住宅を借りるときの問題点を話したい。
私が自立生活を始めたきっかけというのは、当時、車椅子の障害当事者が外出しやすいように路線バスに乗せる活動をしていた。その活動には働いている方や健常者もいたので、会議は夜の7時から10時半まで近くの福祉センターで会議があった。そうすると、家に帰る時間が遅くなった。当時、自分の両親の年齢は65歳前後だった。そのときは自分も杖をついて歩いていたけれども、活動するときに集団行動すると遅くなってしまうので車椅子に乗ることにした。歩けないに等しかったので、入浴介助が必要だった。夜の11時12時になってしまうと、親も「なんで早く帰ってこないんだ、ばか!」って怒られた。そういうことの連続だった。これでは、障害者のための活動ができなくなってしまうと思い、なんとかしなくてはと思うようになった。
そんな状況を心配して隣にいる横山さん(自立生活センターHANDS世田谷)から、一人暮らししてみないかと提案された。当時、世田谷区で自立生活体験室という障害者を対象にした1年限定の制度があったので、1年間入るつもりで入所した。そこで、介助者の募集の仕方とか介助者の給料の支払い方といったことを勉強していった。「体験室」といっても所詮施設であって、門限がある。夜10時くらいを過ぎると職員に「もっとお前早く帰ってこないか」と怒鳴られて、やっぱり施設は施設なんだなと思った。早く出たいと思うようになり、ヘルパーと相談して出ることに決めた。結局、6ヶ月後にこの施設を出た。
そこで家探しをすることになった。それまでにいた体験室はとても立派な施設で、1Kの鉄筋コンクリート建てだったので、民間の賃貸住宅について全然イメージがつかなかった。それで、すでに民間の部屋に住んでいる障害者仲間の部屋を見せてもらい、住宅改造についての理解も深めていった。それから、不動産屋の折り込みチラシを見ても広さが分からなかったので、1畳というのは畳1枚分の広さのことで、体験室にあった和室の畳を数えて、6畳というのはこれくらいの広さなのだということを勉強していった。
家探しにあたっては次の点にポイントを置いた。
1.手動の車椅子で過ごすということ。
2.京王線の沿線に住むということ。
そこで、不動産屋を回ったが、不動産屋には24時間介助者が入るので安心してほしいということ、住宅改造(たとえばスロープや専用通路、ウォシュレットなど)を設置しても元に戻すということを説明した。そういったことを説明しても、業者からは「うちにはそんな物件はない」「世田谷区に相談に行け」とか、「障害者が住みたいのは分かるが、以前原状復帰でトラブルになったことがあり大家が嫌になってしまったので貸したくない」と言われた。そういった理由で貸さないという業者がほとんどだった。
仲間と一緒に20件近くの不動産屋を回ったが、物件を見せてくれたのはたったの2.3件だった。本当は今使っている電動車椅子で過ごしたかったが、床が薄くて重量が耐えられないということで諦めた。
現在の私の部屋を借りようとした際、ある不動産屋に行って、事前にヘルパーに説明してもらった。家賃については、福祉事務所から支払のことを話してもらった。当初、親の名義でないと貸さないといわれたが、家賃は公費で69800円まで出るが本人名義ではないと補助金がでないから本人名義にしてくれと説得したところ、借りることができた。
住宅改造をすることは後で不動産屋に話した。どんな改造が必要かということを福祉用具店の方に一筆書いてもらったお陰で住宅改造ができた。改造の内容は、電動ベッドが1台、浴場にはシャワーチェアとすのこ1台、トイレには手すり5本とウォシュレット、全部合わせて30万円相当の住宅改造費が都から助成金として出た。
次に、行政の住まいに関する障害者福祉についての問題点を述べる。
1つ目は、家賃扶助が69800円と低い。私のアパートの家賃は82000円だが、借りる場合には、住宅扶助基準額を満たしていることを示すため福祉事務所に提出する書類と、本人への請求書である82000円の書類を作ってもらう必要がある。この2つの書類を不動産屋に作成してもらう方法をとると、行政に提出する正式な書類が69800円と基準額以内となり、早く家賃の安い家に引っ越ししなさいと言われなくてすむので、気持ち的に楽になる。
こういったことを頼むと不動産屋に嫌われてしまうのではと思い、そこまで話す自信がなくて、現状のまま82000円だと福祉事務所には言ってある。福祉事務所は、早く出ろ、早く出ろと言ってきたが、私は福祉制度がないと生活ができないんだと、福祉制度は市区町村によって全然違うのだし、もし扶助がないところに移動することになれば自分は生活できない、生まれた町である世田谷で生活できるようにしたいんだと、主張して転宅指導を取りやめてもらった。
2つ目は、住宅改造の修理費が十分でない問題。生活保護制度でも、重度障害者の場合は、浴槽が壊れた場合は生活保護費から出していいことになっているが、その他の修理費についてはなにも明記されていない。浴槽の修理以外にはなにも出さないことになるのではないかと思うので、これはおかしい。
3つ目は、私達は身体機能の低下もあり、このまま年を取ると体力が早く衰えるので、手すりを増やしたり、スロープの増設等の予算が認められなければならない。ウォシュレットや電動ベッドの修理費なども。これらは、今のところ、生活保護費や身体障害者住宅改造費の部分からも支給されていない。
4つ目は、体の不自由な方が電動車椅子で過ごすということを認めていない。ありのままの姿を認めようとしない施策が、非常に問題だと思っている。車椅子に乗るように体が悪くなってもなっても自信を持って生活していかねばならないのに、車椅子の人はみっともない姿であって、車椅子になることは悪いことなんだと、障害が重くなることは悪いことなんだと、そういうイメージを払拭していかなければ、住宅問題は解決しない。できないということは、恥ずかしいことではまったくない。できなければヘルパーとか周りの方に遠慮なく頼んでいい。ヘルパーを雇うことは新たな雇用を生み出すことにもなる。
生まれてきたこのありのままの姿で、生きていけることが、生存権、居住権のはじまりになっていくのではないかと思う。
世田谷で車椅子を利用し、生活保護を受けてホームヘルバーを入れた一人暮らしをしている。今年で9年目に入る。今日は、私の自立生活を始めたきっかけを話しながら、住宅を借りるときの問題点を話したい。
私が自立生活を始めたきっかけというのは、当時、車椅子の障害当事者が外出しやすいように路線バスに乗せる活動をしていた。その活動には働いている方や健常者もいたので、会議は夜の7時から10時半まで近くの福祉センターで会議があった。そうすると、家に帰る時間が遅くなった。当時、自分の両親の年齢は65歳前後だった。そのときは自分も杖をついて歩いていたけれども、活動するときに集団行動すると遅くなってしまうので車椅子に乗ることにした。歩けないに等しかったので、入浴介助が必要だった。夜の11時12時になってしまうと、親も「なんで早く帰ってこないんだ、ばか!」って怒られた。そういうことの連続だった。これでは、障害者のための活動ができなくなってしまうと思い、なんとかしなくてはと思うようになった。
そんな状況を心配して隣にいる横山さん(自立生活センターHANDS世田谷)から、一人暮らししてみないかと提案された。当時、世田谷区で自立生活体験室という障害者を対象にした1年限定の制度があったので、1年間入るつもりで入所した。そこで、介助者の募集の仕方とか介助者の給料の支払い方といったことを勉強していった。「体験室」といっても所詮施設であって、門限がある。夜10時くらいを過ぎると職員に「もっとお前早く帰ってこないか」と怒鳴られて、やっぱり施設は施設なんだなと思った。早く出たいと思うようになり、ヘルパーと相談して出ることに決めた。結局、6ヶ月後にこの施設を出た。
そこで家探しをすることになった。それまでにいた体験室はとても立派な施設で、1Kの鉄筋コンクリート建てだったので、民間の賃貸住宅について全然イメージがつかなかった。それで、すでに民間の部屋に住んでいる障害者仲間の部屋を見せてもらい、住宅改造についての理解も深めていった。それから、不動産屋の折り込みチラシを見ても広さが分からなかったので、1畳というのは畳1枚分の広さのことで、体験室にあった和室の畳を数えて、6畳というのはこれくらいの広さなのだということを勉強していった。
家探しにあたっては次の点にポイントを置いた。
1.手動の車椅子で過ごすということ。
2.京王線の沿線に住むということ。
そこで、不動産屋を回ったが、不動産屋には24時間介助者が入るので安心してほしいということ、住宅改造(たとえばスロープや専用通路、ウォシュレットなど)を設置しても元に戻すということを説明した。そういったことを説明しても、業者からは「うちにはそんな物件はない」「世田谷区に相談に行け」とか、「障害者が住みたいのは分かるが、以前原状復帰でトラブルになったことがあり大家が嫌になってしまったので貸したくない」と言われた。そういった理由で貸さないという業者がほとんどだった。
仲間と一緒に20件近くの不動産屋を回ったが、物件を見せてくれたのはたったの2.3件だった。本当は今使っている電動車椅子で過ごしたかったが、床が薄くて重量が耐えられないということで諦めた。
現在の私の部屋を借りようとした際、ある不動産屋に行って、事前にヘルパーに説明してもらった。家賃については、福祉事務所から支払のことを話してもらった。当初、親の名義でないと貸さないといわれたが、家賃は公費で69800円まで出るが本人名義ではないと補助金がでないから本人名義にしてくれと説得したところ、借りることができた。
住宅改造をすることは後で不動産屋に話した。どんな改造が必要かということを福祉用具店の方に一筆書いてもらったお陰で住宅改造ができた。改造の内容は、電動ベッドが1台、浴場にはシャワーチェアとすのこ1台、トイレには手すり5本とウォシュレット、全部合わせて30万円相当の住宅改造費が都から助成金として出た。
次に、行政の住まいに関する障害者福祉についての問題点を述べる。
1つ目は、家賃扶助が69800円と低い。私のアパートの家賃は82000円だが、借りる場合には、住宅扶助基準額を満たしていることを示すため福祉事務所に提出する書類と、本人への請求書である82000円の書類を作ってもらう必要がある。この2つの書類を不動産屋に作成してもらう方法をとると、行政に提出する正式な書類が69800円と基準額以内となり、早く家賃の安い家に引っ越ししなさいと言われなくてすむので、気持ち的に楽になる。
こういったことを頼むと不動産屋に嫌われてしまうのではと思い、そこまで話す自信がなくて、現状のまま82000円だと福祉事務所には言ってある。福祉事務所は、早く出ろ、早く出ろと言ってきたが、私は福祉制度がないと生活ができないんだと、福祉制度は市区町村によって全然違うのだし、もし扶助がないところに移動することになれば自分は生活できない、生まれた町である世田谷で生活できるようにしたいんだと、主張して転宅指導を取りやめてもらった。
2つ目は、住宅改造の修理費が十分でない問題。生活保護制度でも、重度障害者の場合は、浴槽が壊れた場合は生活保護費から出していいことになっているが、その他の修理費についてはなにも明記されていない。浴槽の修理以外にはなにも出さないことになるのではないかと思うので、これはおかしい。
3つ目は、私達は身体機能の低下もあり、このまま年を取ると体力が早く衰えるので、手すりを増やしたり、スロープの増設等の予算が認められなければならない。ウォシュレットや電動ベッドの修理費なども。これらは、今のところ、生活保護費や身体障害者住宅改造費の部分からも支給されていない。
4つ目は、体の不自由な方が電動車椅子で過ごすということを認めていない。ありのままの姿を認めようとしない施策が、非常に問題だと思っている。車椅子に乗るように体が悪くなってもなっても自信を持って生活していかねばならないのに、車椅子の人はみっともない姿であって、車椅子になることは悪いことなんだと、障害が重くなることは悪いことなんだと、そういうイメージを払拭していかなければ、住宅問題は解決しない。できないということは、恥ずかしいことではまったくない。できなければヘルパーとか周りの方に遠慮なく頼んでいい。ヘルパーを雇うことは新たな雇用を生み出すことにもなる。
生まれてきたこのありのままの姿で、生きていけることが、生存権、居住権のはじまりになっていくのではないかと思う。
スポンサーサイト